昭和59年9月21日、当時新日マットで維新軍を結成していた長州ら5選手が電撃退社しジャパン・プロレスを設立
それに伴って、時折維新軍に参加していたK・カーンも「馬場、鶴田、天龍や全日の外人選手とスケールの大きな試合をしたい!」と行動を共にし、彼らは事実上、全日へ移籍する形となりました。
しかし2年後、長州に反旗を翻したカーンはマシンらカルガリー・ハリケーンズと共闘
7月31日の蔵前国技館で両者は一騎討ちを行ったのであります。
長州に造反後は無法乱入を繰り返し、若林実況アナから「恩知らず!」とまで言われてきたカーンですが、この日は、正々堂々の勝負を挑んできました。
勿論、長州は真っ向から受けて立ちます。


男と男の一騎討ちは、10分過ぎから荒れた局面に変わりました。
長州がカーンの額を鉄柱に強打します。
これがものすごい出血となり、大ダメージのカーンは、場外に倒れました。


ここが潮時と判断した長州はリング内に入ったカーンに、ラリアットでとどめを刺そうとしますが、カーンはカウンターのキックで逆に切り返し、トップロープからのダイビング式にアルバトロス殺法を繰り出しました。
140キロの肉弾急降下をまとも受けた長州は辛うじて返します。
カーンが必死で「3カウント」をアピールするも、レフェリーが認めませんでした。


この隙を逃さない長州はカーンの背後に回り、バックドロップ
そしてリキ・ラリアットを食らわし16分51秒、本当に苦しい闘いながら、何とかカーンを返り討ちにしのであります。




翌62年春、長州らは新日へUターンする事となりましたが、カーンはこれには同行せず、同年4月に全日を退社し、11月には引退しました。
個人的には、「この長州戦以外に、カーンが全日でインパクトを残した試合は見当たらない!」というのが正直なところです。
大型対決を求めて全日に移ったカーンにとって、結局、光らせてくれたのは「元同僚で、しかも体の小さい長州!!」という事だったのでした。
そういう意味では、後のカーンの発した言葉を思うと、若林アナが発した「恩知らず!!」は、予言的に正に的を得てますね。