大仁田厚 対 G・サスケ(1994.10.30)

 平成6年4月16日、両国国技館で開催された「スーパーJカップ」を観戦し、すっかりみちのくプロレスに魅了された私

 慌てて2週間後の29日、大田区での東京自主興行(サスケ対人生)を観戦して、みちプロへの思いは更に高まり、「いつかは東北へ行って、地元での興行を生観戦したい!」と、思っていましたら、半年後にその夢は叶いました。

 

 10月30日、岩手県滝沢村産業文化センター第一展示場に於いて、「ノーロープ有刺鉄線電流地雷爆破ダブルヘル時限爆弾デスマッチ」として行われたG・サスケ対大仁田厚の一戦を、当時住んでた東京から観に行く決心をしたのです。

 屋外という事で、10月末ともなると、岩手の山は冬のような寒さでしたが、特設リングに集まった9000人弱の観衆の熱気が会場を熱くしていました。

 

 リングは全てノーロープで2面が小型爆弾を有し、電流が流れた有刺鉄線で、もう2面には、場外に地雷爆破装置が設置してあります。


 「地元の英雄」G・サスケは緊張もあって非常に厳しい表情

 確かこの時はSATO、獅龍、テリーボーイが海援隊を結成し、TAKAみちのくはデルフィン軍団へ加入し、サスケはほぼ孤立無援の立場でした。

 

 

 

 一方の大仁田は、何とも余裕で落ち着いた表情をしております。


 しかしサスケの攻撃により、まず大仁田が有刺鉄線にぶち当たって、被爆しました。

 更に場外へエスケープした大仁田に対し、何とサスケは助走をつけてリング上で側転するや、そのまま有刺鉄線を前宙一回転で飛び越え、大仁田へ「サスケ・スペシャル」を食らわします。

 

 

 有刺鉄線に接触すれば被爆し、また場外で自爆したら、下はマットなしのコンクリートという事で、大ダメージは免れなかったでありましょう。

 しかしサスケはやってのけたのです。

 これを見ただけでも「岩手まで来てよかった!」と思いました。


 10分が過ぎ、両者は共に地雷面を転落し、爆発が起こります。

 両者がリングに戻るも、今度は大仁田がサスケを有刺鉄線に激突させて被爆させ、最後はサンダー・ファイヤー・パワーボムで14分58秒、勝利を収めたのでした。


 実はこの試合の特別ルールで、15分過ぎたら時限爆弾が爆発することになっており、試合終了の2秒後に大爆発が起こります。

 

 騒然とした中、白煙から現れたのは、倒れた状態の2選手とレフェリーのテッド・タナベでした。



 タナベはタンカで運ばれたものの、完全失神したサスケを、勝者の大仁田が抱きかかえて、運びます。

 

 

 そして、傍にいた新崎人生に近寄り、「人生、サスケを受け取れ!お前ら同じみちのくプロレスじゃろ。お前ら、死んでもみちのく潰すなよ!!」と叫び、サスケを渡したのでした。


 この時の大仁田との公約を守り続けてる訳でもないのでしょうけど、なんだかんだ言って、みちのくプロレスは今(2021年2月現在)も団体を存続しているのは素晴らしい事ですね。

 ちなみにその夜に夜行で、東京へ帰った私ですが、すごく興奮して、すっかり目がさえ、盛岡駅で買ったワインを1人ですぐに開けてしまった記憶があります(笑)