A猪木 対 L・デイトン

レフトフック・デイトン


その怪力ぶりはすさまじく、手錠を自らの手で引きちぎったり、硬式テニスボールを握って潰したり、コインを指で曲げたり、ロープで首を吊って耐えたり…常人では絶対に真似できないパワーの持ち主でありました。

 

 

それにプラスし、全米体育協会主催の空手選手権・中国拳法選手権優勝など武道にも長けており、そんなすんごい武道筋肉マンが昭和54年4月3日、福岡スポーツセンターにおいてA猪木と一騎打ちを行ったのです。

 

いきなり左ミドルキックで猪木をダウンさせ、そのままマウント状態で殴り、無理矢理スリーパーを仕掛け、こともあろうに猪木の必殺・延髄斬りまで繰り出したのでした。



これにキレた猪木は鍛えようがない顔面に照準を絞り、徹底してのヘッドバッド攻撃を連打し、デイトンをダウンさせました。

 

何とか立ち上がったものの、大流血のデイトンはもはや戦闘不能の状態です。



最後はバックドロップを食らわし、これまた鍛えようがない後頭部を痛打し、完全KO

 

 

終わってみれば、猪木の完勝でした。


しかしながら、試合後のインタビューでは「今日は勝って本当に良かったです。正直…非常に怖かったです」と語った猪木

ネットがない昭和の時代

しかもプロレス誌も月刊紙だったわけであり、所謂「異種格闘技戦」と呼ばれる試合は、少年マガジンが連載していた梶原一騎原作の劇画「四角いジャングル」が毎週ほぼリアルタイムで情報提供していました。

対戦相手に関しては「プロレス未経験の格闘経験者」をかなり誇張的に「その分野の世界王者」レベルで紹介してたため、読者側はものすごく過大妄想してしまい、試合自体に期待外れの内容が多く、一気にがっかりしてしまったのもまた事実だったのです。

デイトンも明らかに、「プロレス素人」であったようでしたが、試合内容が逆に「ガ〇〇〇」に見えたカンジとなったからか、この試合を評価する人は少なくないようですね。