平成元年は世界にとっても、新日本プロレスにとっても、大きな転換期を迎えた年でありました。
1980年代後半からのペレストロイカ政策により、ソビエト連邦(現ロシア)の国家スポーツ委員会が新日本プロレスと提携
これによって1989年4月24日、新日本プロレスの東京ドーム初興行にソ連・レッドブル軍団が初登場し、53800人の大観客を驚かせたのです。
またA猪木は5月25日の大阪城大会を以って、第一線から退き、7月の参議院選挙にスポーツ平和党を立ち上げて出馬
残り1議席を扇千景と争い、薄氷の当選を果たしました。


同年12月2~3日、地中海のマルタでソ連共産党書記長のミハイル・ゴルバチョフとアメリカ大統領のジョージ・H・W・ブッシュが会談し、正式に冷戦の終結を宣言
それから4週間後、猪木議員と新日本プロレスは、スポーツ国際交流の一環として、12月31日、ソ連・モスクワに於いて「格闘フェスティバル・イン・モスクワ」を開催したのです。
会場に集まったモスクワの人たちは、初のプロレス観戦に大興奮


プロレスラー・アントニオ猪木はメインエベントで、この年、2度の激闘を繰り広げたS・チョチョシビリと
「夢の日ソ格闘技コンビ」を結成
「日米アマレスコンビ」であるM斎藤、B・レイガンズ組と戦いました。


両チーム互角の展開から15分
最後はやはり、地元の英雄であるチョチョシビリが豪快な裏投げでレイガンズをKO
見事に、日ソ格闘コンビが勝利を飾ったのです。
大変素晴らしい日米ソの国際プロレス交流であり、さすがはA猪木議員ならではの闘魂外交でした。


しかし、今となっては信じられない話ですね。