昨日、石川県知事選挙で初当選を果たした元プロレスラー馳浩
私が思い出される試合は1992年1月4日、東京ドームにおけるA猪木との一騎打ちであります。
このドーム大会では、当初A猪木はT・J・シンと11年ぶりのシングルマッチが決まっていたのですが、前年暮れに馳浩が議員会館まで訪れ、当時参議員であった猪木に対戦を直談判


12月18日に巌流島に於いて行われたシンとの死闘を制し、見事に挑戦権を獲得しました。




さあ60分1本勝負で行われるアントニオ猪木対馳浩
5万人で埋まった東京ドームに両者が登場
元気いっぱいの馳に対し、議員活動が激務の猪木は実に1年3ヶ月ぶりのリング復帰であります。








試合は馳が一進一退の攻防から、裏投げ連発で優位に立ち、猪木を追い込みました。
しかし、この猛攻に耐えた猪木が最後は延髄斬り3連発からの卍固めで10分9秒、ギブアップ勝ちを治めたのです。
この時は多くの人が「やっぱり猪木は強い!」と思っていたことでしょう。(*少なくとも私はそう思っていました)
ところが後になって馳の評価が一変します。
実は当大会はゴールデンタイム特番生中継で放送されており、それまでの試合が押し押しとなり、「60分1本勝負」でありながら、実際与えられた持ち時間は僅か10分
負け(役を演じ?)た馳でしたが、ほぼドンピシャリの試合時間で、しかもブランクがあった猪木の持ち味を十二分に引き出した試合ぶりが認められ、当試合は東京ドームにおける「隠れベストパウド」と評価されるようになったのです。




そんな馳氏と猪木氏
私自身のエピソードとして、平成元年の猪木氏の選挙運動時、大宮駅へ応援に行った際、両氏とお会いし、そして写真を撮って頂いた思い出があります。




馳氏は猪木氏の付き人として、忙しく駆け回っており、私が恐る恐るお声をかけると第一声は
「お前、大学生か!?今日、学校はどうしたんだ!?」と言われ、ビビった私は「はい、今は夏休みです。猪木さんの応援に来ました」と答えるのが精一杯でした(*_*;
馳新知事、当選おめでとうございます。石川県だけでなく、出身地であるここ富山県とも好連携で、北陸を盛り上げて頂きたいと思っております。