新日がプロレス団体として、初めて東京ドームで興行を行ったのは33年前の1989年4月24日の事でした。
日米の他、ソ連から柔道家、アマレスラーを多数招聘し、「89格闘衛星・闘強導夢」と銘打って、開催され、53800人の大観衆が集まったのですが、当時21歳だった私も、大学生の分際ながら、せっかくの記念だからと、3万円を奮発しロイヤルシート(だったか?)の席を購入したのであります。
当大会のメイン・エベントは、日ソ異種格闘技戦としてA猪木対S・チョチョシビリの一戦が行われました。


チョチョシビリはこの時、現役選手ではなかったものの、1972年のミュンヘン・オリンピックに於ける柔道男子・軽重量級の金メダリストであります。
猪木にとってはスピンクス戦以来、2年半ぶりの異種格闘技戦となりました。


今回は、ノーロープ円形という特殊リングでの闘いです。


13年前には、同じ柔道家のルスカに対し、バックドロップ3連発で仕留めた猪木
1Rから早くもその必殺技を繰り出し、試合を優勢に進めます。
しかし2Rに入るや、チョチョシビリもお返しの裏投げを強烈に浴びせ、更に逆十字気味に、猪木の関節を極めました。
寝技15秒ルールに救われましたが、猪木の肘・側副靭帯はこれで破壊され、右腕が使えないまま、試合を続けます。




その後は一方的に攻められながらも、何とか凌いだ猪木
しかし4Rまでが限界でした。


5Rに入るや、裏投げ3連発をまともに食らって、マットで大の字となり、屈辱の10カウントを聞いたのであります。


とっても残念でした。
しかし私の中では「この時点での猪木のあるべき姿」を見せてくれたような気がして、納得した部分も多かったのであります。

