海外で大人気を博したG・カブキが全日本プロレスに凱旋帰国を果たし
全国津々浦々で大フィーバーを巻き起こした83エキサイト・シリーズ


当シリーズ、G馬場は海外遠征により、全休の予定でしたが
急遽、3月3日の後楽園ホールに出場し
上田馬之助と一騎打ちを行うこととなったのです。

馬場と上田とは、日本プロレス時代から何かと因縁のある関係ですが
上田の方はむしろ、現在抗争中の天龍の存在が気になるようで
セコンドにいる天龍を挑発し、しきりに手を出しました。


さあ試合開始
最初から荒れ模様になるかと思いきや
序盤はグランドの攻防となり
両者アキレス腱固めを決め合います。
(*当時、まだUWFは誕生していない時期です)

しかし、徐々に上田が本領を発揮
スリーパーで馬場の顔面を掻きむしり
ロープ際でチョーク攻撃を仕掛けました。


レフェリーの制止も全く聞かない上田の暴挙に、ついにセコンドの天龍が怒り
リング下から張り手を食らわします。
(*厳密には反則です笑)


これで攻守逆転
リング中央に戻った馬場は上田の左腕をつかむと
何と自らジャンプして全体重をかけ、アームブリーカーを決めました。


続いて今度は、上田の左腕をまたぎ、両手でつかんでの
ジャンピング…いや、馬場しかできない
ジャイアント・アーム・ブリーカー


あまりの痛さに場外へエスケープした上田ですが
休み間もなく
場外にいた天龍のイス攻撃を思いっきり食らったのですから
たまったものではありません。
(*これも厳密には反則です笑)


辛うじてリングに戻った上田に対し
馬場はさらにバック・ブリーカーを4連発
これで上田の肩が完全に破壊されました。


馬場の容赦ないアーム・ブリーカー計6発により
上田は完全に戦意喪失となり
16分3秒、レフェリーストップにより
馬場の勝利に終わったのです。


相手が「積年の因縁がある」上田とはいえ
馬場が対戦相手を潰すような試合を行ったのは
極めて稀なケースであります。
では、何故馬場がこのような試合を行ったのか?

そこで思い出されるのが5年前
1978年2月8日の日本武道館で行われた
A猪木対上田馬之助の一戦
この試合はリング下で、無数に敷き詰めた釘板に囲まれて行われた
ネイル・デスマッチであり
「どちらかが、リング下に落とされて、串刺しになるのではないか!?」
と、非常にスリリングな状況で行われたのですが
幸いどちらも落ちることはなく
猪木がアームロックで上田の腕を(プロレス表現的に)へし折って
11分2秒、レフェリーストップで勝利しました。




単純に考えると
馬場にしたら、上田との試合は
ある意味、上田以上に怨念である猪木(対上田)を超える試合展開
そして結末でなければならず
あのような究極の巨人技を思いつき、披露した!
と考えるのが、一番手っ取り早いです。
でもつい最近、私の考えが変わりました。
それは当シリーズ、一大ブームを起こしたG・カブキの存在です。


馬場は予想をはるかに超えるカブキ人気に対して
内心では非常に焦り
「このままでは、エースである自分の立場が危うい」
とマジで心配になり
当初、休む予定だった最終戦に出場して
上田と一騎打ちを行ったのではないでしょうか?
馬場の頼みとあらば…と
あのような技に体を張って付き合ってくれるほどの人(がいい人)って
よく考えると、上田しか思いつきません。
(*きっと猪木の釘板の際も同じような状況だったのでしょう)
そう言った意味では
一番信用できないと思われていた「悪役」上田は
馬場にとっても(・勿論、猪木にとっても)
実は一番信頼できる先輩だったのかもしれませんね
馬場と猪木、両者共にフォール、ギブアップ勝ちではなく
敢えてレフェリーストップ勝ちとしたことで
上田に対する敬意が分かろうというものです。
