1981年は、日本プロレス界にとって
一大転換期となりました。
新日本プロレスが5月に、全日からA・ブッチャーを引き抜けば
全日本プロレスは7月に、新日からT・J・シンを引き抜き返す
という、企業戦争が勃発したのです。
また当年は両団体にとって、創立10周年にも当たり
新日は10月8日に蔵前国技館で、10周年記念試合(第3弾)として
A猪木対R木村を始めとした
新日対国際軍の対抗戦を組んで、13000人・超満員の大観衆を集めれば
翌9日は、全日が同じく蔵前で
R・フレアー、B・ブロディ、D・F・ジュニア、T・ファンク、B・サンマルチノ、H・レイス、T・J・シン、M・マスカラス、J・スヌーカ、ザ・デストロイヤー・・・といった
超豪華外人レスラーを集結させて、記念興行を開催し
同じく13000人・超満員の大観衆を集めました。
特に全日は、何と当時のNWA王者・フレアーの他、ドリー、テリー、レイス
そして馬場と歴代の王者5人が勢揃いし
「果たしてメイン・エベントはどんなカードになるのか!?」
と、注目されたのですが
創立10周年記念タッグマッチとして
馬場はB・サンマルチノと夢のタッグを結成
この2人はほぼ同キャリアであり
若手時代からの親友でもあり、ライバルでもある間柄
10年前の旗揚げシリーズでは
世界ヘビータイトルの争奪戦を行った2人であり(*結果は1-1の引き分け)
まさに10周年にふさわしいチームです。
さて、相手チームはというと
何とあのT・J・シン、上田馬之助組
このメンバーの中では、ある意味で
10周年に一番ふさわしくないチームと言えます(笑)。



試合は大方の予想通り
4者入り乱れての乱闘からスタートしました。

まずは凶悪コンビが2人がかりで馬場を苦しめると
すぐにサンマルチノが救出に来て
上田から竹刀を奪い、シンを滅多打ちにします。




さらには、シンにヒザ攻撃の乱打
いや、シンも負けじとクロー攻撃でお返し
サンマルチノとシンの攻防は
まさに「記念試合」ならでは!!


一方、「主役は俺だ!」とばかり、馬場もハッスルし
上田を2度も16文キックで吹っ飛ばしました。

そして、馬場が上田にコブラ・ツイストをかけると
サンマルチノがシンにベア・ハッグで搾り上げます。
まさに歴史的共演でした。


その後、戦場は場外に移り
結局11分40秒、両軍リングアウトの裁定が下ったのです。
当時、私が住む富山県で「全日本プロレス中継」は放映されておらず
私がこの試合を観たのは
7年後ぐらい(*在京時)でしたが
「一夜限りの超豪華・特番スペシャル」を見させてもらった気がして
決着は付かなかったとはいえ
なかなか面白い試合だったと思いました。
一方、当試合の前日行われたA猪木対R木村は
猪木がロープブレイクを無視し、反則負けとなったのです。




非常に不完全燃焼な内容と結果でした。
このシングルは、言ってみれば「連続ドラマシリーズの第一話」であり
「今日はここまでですよ。この続きは11月5日に予定されている第二話(再戦)を見てね」
と言われてる感があり
猪木信者の私でさえも
「この全日のタッグマッチの方が面白かった!」
というのが、当時から今も変わらぬ感想ですね。
◆新日本プロレス、1981年10月8日、蔵前国技館
・60分1本勝負
〇R木村(10分35秒、反則)A猪木
◆全日本プロレス、1981年10月9日、蔵前国技館
・60分1本勝負
G馬場、B・サンマルチノ(▲-▲)T・J・シン、上田馬之助
◎(11分40秒、両軍リングアウト)