昌泰の変(901・延喜元年)

関白藤原基経が891年に亡くなった後、宇多天皇は関白を置こうとせず、天皇自らが政治を行う天皇親政を目指し、学者出身の菅原道真を登用。蔵人頭に抜擢した。宇多天皇が息子の醍醐天皇に位を譲ると、菅原道真は右大臣にまで出世した。一方、藤原氏のトップは左大臣の藤原時平であった。藤原時平は菅原道真を中傷し、太宰権帥に左遷させられ、その場で亡くなった。