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和田合戦(1213)

北条時政の後は、時政の子・北条義時が2代執権となった。この北条氏の独占権力に不満を持ったのが侍所の別当・和田義盛である。義盛は1213年に挙兵するが、戦いに負けて敗死した。これを和田合戦という。義盛が死んだ結果、侍所の別当が空席となり、そこを北条義時が座った。義時は執権(政所の別当)であり、侍所の別当と政所の別当を両方兼ねるようになり、北条氏の権力はますます拡大していった。