第60代横綱・双羽黒光司
1987年12月27日、所属していた立浪部屋にてトラブルを起こして脱走し、破門
角界を廃業しました。
その後、プロレスラーへと転向
本名の「北尾光司」をリングネームとし
新日本プロレスが興行した1990年2月10日の東京ドームに於いて
当時の新日外人実質ナンバー2のC・B・ビガロと対戦したのです。
しかし!!
全く自分の立場を分かっていない「勘違い」スタイルで登場した北尾
会場にいた、私を含む6万人のファンから失笑を買い
終始大ブーイングを浴びながらも
相手ビガロの名アシスト(?)により、9分58秒、体固めで勝利し
衝撃…いやっ、「笑劇」のデビューを果たしました。
それから3ヶ月半後の5月28日、大阪府立体育館
今度は実質外人ナンバー1のB・ベイダーと
早くも一騎打ちを行うことになります。
北尾にしたら、十分闘い慣れている大阪府立体育会館
かつての「春場所」の地で
ベイダーにも勝利したいところですが
今回も相変わらずH・ホーガンを意識した
アメリカン・スタイルで登場しました。
さて試合開始
デビュー戦に華を持たせてくれた(?)優しいビガロと違い
ベイダーは最初からガンガン飛ばし
顔面パンチ、裏拳の連続攻撃からの
大技ビックバン・クラッシュ、ベイダー・キラー・プレスで
KO寸前に追い込みます。
最後はベイダー・タックルからの片エビ固めで
9分18秒、3カウントを奪われたのでした。
北尾は「カウント2で返している!」
と、服部レフェリーに詰め寄りますが、認められません。
確かに確認すると、北尾は服部がカウント3を叩く前に
体をはねのけていました。
いやっ、そもそも北尾の右肩は
最初からマットに付いておらず
服部レフェリーはこれで
試合を終わらせるつもりだったのが、分かります。
プロレスの試合に、どの程度「打ち合わせ」というものがあるのか
私には分かりませんが…
あれほどプライドの高い北尾にとって
相手が外人ナンバー1のベイダーとは言え
シングルでワンサイドなフォール負けを了承する
とは、どうしても思えません。
そこで、試合前の控室で
「北尾君!今日のベイダーの試合では、まず前半は、ボッコボッコにベイダーの攻撃を受けてくれないか。途中で私がサインを出すから、そこで反撃してほしい。後半は君が思う存分、暴れたらいい。でっ、最後は両者リングアウトの引き分けね!!」
って、服部氏に言われてたのに
いざリングに上がると、話が違って
思わぬところで3カウントを取られた
という推測が成り立つのです。
それぐらい、3カウントの取り方が不自然でしたし
北尾のクレームも
「あれっ、話が違いますよ!」
的なものが感じられました。
まさか、最初から最後まで全てシナリオが決まっていて
「北尾君!今日のベイダーの試合では、ボッコボッコにベイダーの攻撃を受けてくれないか。そこで唐突に終わるから、北尾君は私に『2で返した!』とクレームをつけてほしい。でっ、次の対決では北尾君に勝ってもらうから、今回は頼むよ」
と、詳細に打ち合わせがあったのか!?…
いやっ、やっぱりこれはないな笑
この頃既に自分勝手な北尾と
新日側との信頼関係は良くなかったように思われ
新日としては、北尾に「お灸を据える」意味で行ったマッチメイクが
北尾にしたら、「元横綱」としての完全に面子を潰された
と思ったのかもしれません。
ちなみにこの試合の最大の見せ場(?)は
開始から2分
ベイダーが北尾をリング下へ落とそうとした時
北尾がセカンドロープとサードロープの間から
真っ逆さまにリング下へと勢いよく転落したシーンです。
通常なら、ロープを掴んでダメージを最小限に止めるんですが
そういう細かい防御が全くできなかったんですね。
つまり北尾はこの段階で、格闘家としてはともかく
「プロレスラーとしては、やはりデビュー3カ月半のド素人だった!」
という事です。
北尾は2ヶ月後の7月23日
巡業移動中に現場責任者・長州力への人種差別的な暴言により
新日を解雇されました。
その後、同じ角界出身として
北尾を心配に思った天龍源一郎によって
新団体SWSに拾われたものの
ここでも相撲界では、天と地ほどの差があった
元幕下J・テンタと
試合中から不穏な空気となり、無効試合となったばかりか
終了直後にマイクで暴言を吐き
解雇となったのです。
今、思えば
ベイダー戦でのリング下への転落こそ
まさに北尾のプロレス人生を物語っていた
と、言えるのかもしれません。